人は目に映ることを見るが、主は心によって見る

                                                          1サムエル16,7

 

                                                                       2017年7月24

                                                                    大和カトリック教会 

                                                                          主任司祭  鈴木正夫

 

   

   梅雨明け宣言がありました。気象庁の宣言は、お墨付きということでしょうか、一般市民はそれによって「夏到来」とか、「本格的夏」とかで、なんとなく納得させられたような気がします。しかし、すでに梅雨の間から照り続く暑い現実は何の変りもありません。

 6月から7月にかけて、葬儀が続きました。何度か見舞ったことのある方の死だったり、生前お会いしていない方の葬儀であったりもします。どの葬儀も式までには、亡くなった方の人柄、どのような生涯だったのかを身近な人に聞きます。やさしかった。一緒に旅行した。花が好きだった。カラオケが好きだった。映画が好きだった。などいろいろです。どれも、亡くなった人とのパーソナルな関係から出てくる人柄です。そこには、一人の人がどのようなことに興味を持ち、どんなことをこころざし、どんな個性の人で、家族から、特に伴侶からどれほど愛された人生であったかが浮き彫りにされてきます。

 葬儀ではありませんが、バングラデシュにてISに撃たれた田中宏さんの一周忌の追悼ミサは印象的でした。

長年にわたり蓄えてきた日本の鉄道知識・技術を現地の交通インフラの立ち上げの指導に当たるため、日本からのボランティアとして自分から志願されました。80歳でした。当然派遣隊要員として、どうやって選考にクリア―したのか訊きました。体力維持のため毎日何百メートルも泳ぐ等の努力をし、鍛えていたとのこと。生来の努力・節制の人であった田中さんは十分な資質を持っていたとのこと。それなのに、どうしてこのような方を? 理不尽極まりない出来事でした。

 最近はパラリンピックの大会もポピュラーになり、テレビでもよく報道されているようになりました。スポーツ界では優勝あるのみ、金以外に求めるものはない。結果が全てという考え方が蔓延しています。メダルを何個とるかは、重要なことになっています。

 「人は目に映ることを見るが、主は心によって見る。」(1サムエル16,7)これは、預言者サムエルが、次の王を選ぶときの話です。王になるにふさわしい容姿をしたエッサイ家の長男エリアブだと思ったとき語られた主のお言葉です。

人は何をしたか、偉業を打ち立てた、財を残した、名声を博したことはたしかに魅力的なことかもしれない。それこそ「目に映ること」です。しかし、田中さんの人生の締めくくりは自分の選択ではなく、自分以外のものでした。神様だけがご覧になっているものです。その一瞬まで、彼が求め続けてきたものはそのまま失われることなく、そのまま残ったと言えます。誰かのために、80歳になっても、隠居ではなく他者のために使われた生涯がわかりやすく見て取れます。人は何をしたかではなく、何を求め、何をしようとしたかが大切です。神様がご覧になっているのはまさにその部分です。

       

 

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